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手押し車 野良に出ているおばあさんの傍に、手押し車が置いてあるのをよく見かける。その中には、畑で収穫した野菜やちょっとした農具などが入っていたりする。畑に来るまでの道々、手押し車は転ばぬ先の杖の代わりにもなるし、ものを運ぶ小さなリヤカーにもなる。 でも、そんな便利な手押し車だけれど、不思議なことに、おじいさんが押しているのをまだ一度も見かけたことがない。何故だろう? 私の家では、耕す者のいなくなった畑の守を、90歳になる義兄がしてくれている。未だに軽トラックに乗ってやって来ては腰をくの字に折り曲げて、畑に出て行く。畑に出ても、一うね耕しては休み、戻って来てはまた腰を下ろすといった按配に、仕事をしている時間より、休んでいる時間の方がはるかに多い。 ある時、私は手押し車を使ってみたらどうかと、兄に勧めてみた。すると、兄はとんでもないというように、一笑して言った。 「あんげなもんを押しちょって、仕事になるもんね。ばあさんじゃあるまいし。」 手押し車は、ばあさんが使うものと決め付けている様子だった。兄の意外な憤慨ぶりを見て、私は思った。いくつになっても、捨てられない男の誇りと、守りたい自分のスタイルがあるんだなと。 兄はまだ自分で買い物にも出かける。買い物袋を両手に提げ、スーパーを出ようとすると、よく親切な人が近寄ってきて、袋を一つ持ってあげようとするそうだ。でも、二つの袋を下げることで、やっとバランスをとって歩いているいる兄にとって、一つの袋を取り上げられると、とたんに歩きにくくなって、迷惑千万な行為(好意)になるのだという。 私も、これと似たような親切によく出会うことがある。 車に乗って、自分の車椅子を折りたたんでいざ乗せようとしていると、よく通りすがりの親切な人が駆け寄ってきて、後ろの車輪を持ち上げ、手伝ってくれようとする。でも、それをされると、かえって重たくなって、上げにくくなってしまう。そのまま車椅子を、私の膝の上で転がして持ち上げた方がよほど軽いことを、ご存知じないのである。 相手が知っている人なら、訳を言って断ることも出来るけれど、知らない人にはそうはいかない。折角の好意を無碍にも出来ないから、手伝ってもらったお礼をちゃんと言って笑顔を向けると、相手の方も嬉しそうにニコニコされる。その笑顔を見ていると、どっちがボランティをしてあげているか、わからなくなる。 |
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